JUICHI WAKISAKA

レーシングドライバー 脇阪寿一 OFFICIAL BLOG

2012.3.25

師匠、松本恵二さんが無事新幹線で帰っていかれました。


体調が悪い中、花輪会長に会いたいと上京。

僕は新幹線を薦めましたが、何故か車で。


日曜日の東名高速、事故渋滞で9時間かけて東京までやってこられました。

途中、僕の車に移って頂き、花輪会長の元へ。

会長にご挨拶された後、恵二さんの到着を待たれていた岸本さんに会う。

岸本さんとは、恵二さんの車を長年にわたって触ってきた大ベテランメカニック。

このお二人の伝説は語っても語りきれないほど。

ここにがらさんも入るかな。

レース界の歴史と言ってもよいお二人。

今はそれぞれレース界からはなれておられますが、花輪会長がお二人を再び引き合わされたのでしょう。

2人がそろうと、もちろんレースの昔話。

昔はこうだった、ああだった・・・・

まぁ、無茶な事だらけです。

自ずとそこには昔を知る方々が集まります。

チームルマンの土沼社長もこの2人に育てられたと言っても過言ではありません。

僕はと言いますと、この2人がタッグを組んでレースをした最後のドライバーではないでしょうか!?

それは1996年のF3。

チームは無限×童夢。

この年にレーシングドライバー脇阪寿一が造られました。

昼はレーシングドライバー、夜は恵二さんの運転手。

4輪、2年目のこの年。

童夢、林社長のチームで、松本恵二監督、チーフメカニック岸本さん(きっしゃん)。

ラッキーや、神懸かり的なレースもあり何とかタイトルを獲り、そこからF1のテストドライバーやJTCCの開発ドライバーなど僕のレース人生が広がりました。 

カートから4輪にステップアップ。

注目が集まる寿一は完全に天狗です。

その僕をけちょんけちょんにしながらも、愛がある指導。

スーパーGTにおける“僕の引き出し”はここで叩き込まれました。

例えば、

ピットに入って、「車がアンダーステアで曲がらない」と訴える。

恵二さん:馬鹿もん!お前の侵入スピードが遅いからダウンフォースが働かな          いで曲がらへんねや!アクセルゆるめず全開で行ってこい!!

きっしゃん:寿一ええか、ええ事教えたる。曲がらへんねやろ!?ほんだらな、早めにハンドルを切ってみ!!

僕は車がアンダーステアだから、何かセッティングを変更してください!と言う意味で言ってるのですが。

でも、セッティングを変えるそぶりはなく・・・。


ライバルに負けていると

恵二さん:お前はアイツなんかに負けるレベルか!?情けないわ!!

きっしゃん:命かけて全開で曲がってこい!!曲がりきれたらお前の人生もひらけるわ!このレースはきついのわかってる。でも勝ってみい!林社長に頼んで新しいモノコック買ってもうたるさかいに、次のレースはぶっちぎりやぞ!


こんなやり取りいっぱいあります。


全国どこのサーキットもセッティングは一緒でした。

各サーキットの底すりに対して、車高補正と、前後のウイングバランスの変更のみ。


彼らが僕にいつも言って下さっていたのは

「ええか寿一、F3ってのはステップアップカテゴリーや!このカテゴリーはセッティングせんでもドライバーの器量で何とかしてこい!それが出来ない奴に未来はない!」

当時は何と無茶なと思っていました。

でも今は、感謝の気持ちでいっぱいです。

僕を理解し、時には僕のマインドコントロールまでして。

あの頃に、自分で何とかするすべを探す能力をつけて頂きました。



品川駅で最終直前の新幹線で2人は仲良く帰って行かれました。

「2人で新幹線乗んのは何年ぶりやろな!?童夢の頃は無いな。ルマンの頃やさかいに・・・」

昔は新幹線の窓際にミニウイスキーのボトルを並べまくった2人。

どうか今日はビールぐらいにしてくださいね。

新幹線が見えなくなるまで、そこに居てました。



お2人を見ていると、タイムスリップした気分になります。

古き良き時代が蘇ります。

僕はあの時代のレースが大好きです。

あの時代のレースが好きで、あの考え方が好きで、惚れて今までやってきました。

今日は久しぶりにその気分を味会わせて頂きました。

今日はたくさん懐かしい方々に会えました。

花輪会長、ありがとうございました。

コメント ( 6 )

へっぽこ茶わん :
すんごいお師匠様ですね(^_^;)

でもいい経験が出来たから、今の寿一さんが出来たんですね(^_^;)

本当は身体には良くは無いけど、今日は勘弁してあげましょうよ!!
みやぼう :
師匠、そのまた師匠。寿一さんが言うF3に対する先輩方の
考え方、教え方?解ります。僕も、若いころ2輪でレース
(MINEになる前の西日本で)をやってました。
ヤマハにいった難波氏や、ヨシムラ入りした大島氏と同時期に、ほぼノーマルのプロダクション250にRZ−Rで出てました。僕の師匠も言っていることはほぼ同じで、
「コーナー嫌いやろ、じゃあ、はよ入ってはよ出れば良か!」
そんな人でした。口癖が某CMのコピーで
「もっと引き出せ、車の性能」たかがノーマルのバイク、
セッティングでコンマ何秒縮まる?ブレーキ1秒我慢すりゃ
1秒縮まるわ!
おかげで、「人」の能力を上げる術を身につけることが
出来たと思います。
人生、運、巡り逢せ、試練、全てその「人」に対して
与えられる物かなと、この頃考えます。
特に、試練に関しては、ある方の言葉を借りると、
「乗り越えられない人には、試練は来ない。」
それを、肝に銘じて、これからを生きて
それを、伝えていきたいなとおもいます。
ウーロンハイ :
文章を読ませていただいた限りでは、きっと先輩方は、
寿一さんならやれると思われていたのでしょうね。

セッティングに頼らず、「ウデでなんとかしてこい!」ってところに
寿一さんへの期待感を感じました。

そして、こないだのブログではわからなかった、レース界を創ってこられた方の名をつい先程、大輔さんのブログで知りました。

僕なんかがこんなこと言うのも生意気なんですが、
誠に勝手ながらレース界のいちファンとして言わせていただきます。
「お疲れ様でした。後の事は立派な後輩たちにまかせて
今は安らかにお眠りください」と。
マーベリック :
アハハハ!
最悪の師匠!

でも、それがのちのスーパースターを作ったんだから。

私も鈴鹿でレース出たりしたけれど、耐久の練習走行でこっちはギリギリ限界で走ってる横を、悟さんがピュ〜〜〜って追い越して行った。

あの〜〜って言っても聞こえないし・・・

後ろついてライン取ろうとしても、ヘヤピン過ぎたらもういないもん!

でも、若い頃の脇坂ってカッコ良かったよな〜〜!

今は、おっさんだけど・・・じゃぁ俺はジジだなぁ〜〜。

F1行けてたのに…。・時期が悪かったよな!

でも、ずっと応援してるからがんばれぇぇぇ〜〜!
目指すはレーシングドライバー :
レーシングドライバーへの道は大変ですね!!
師匠の言うこと
厳しいですけど
すごい良い師匠ですね!

ララ :
素敵な方々とかけがえのない時間を一緒にすごされていたのですね。

ちょっと淋しくなりますね。

でも、誰も忘れませんから。
ずっと一緒なはずですから・・
今までも、これからも、11さんを愛する人はたくさんいますよ!

それにしても・・かっこいいお師匠様ですね♪
だからお弟子さんもかっこいいのかしら??
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